同人活動がくれた基盤
『同人活動がくれた基盤』
僕は十八から同人活動を始めた。初めて同人誌を出したのは十九になって少しあとの名古屋コミティア。初めてのことで分からないなりに本を作った。初めてだからと張り切って三種も。それも一冊は成人向け指定の過激な性の物語だった。
売れるかなんて分からなかった。けれど本にしたかった。僕の中から溢れる物を形にして残したかった。けれどやっぱり、多くの人に売れたいと心のどこかでは願っていた。本が売れるということは「あなたの作品にはお金を払うだけの価値がある」と伝えられることと同義だと考えるからだ。
売れ行きは順調だった。全種買ってくださる方、次回も楽しみにしていると伝えてくださる方、サインを求めてくださる方。たくさんの愛情を貰った。すごくすごく幸せだった。
それからも僕は本を出し続けた。装丁画を描いてくださる画家さんたちをはじめ、たくさんの方に助けていただきながら。書店委託も決まり、様々なイベントにも呼んでいただけるようになった。
本を出し続けているうちに固定の読者様というものもできた。僕のことを知ってから変える範囲で全巻持っているという方々の顔を何人も思い浮かべることができる。新刊が出るとすぐに通販で買ってくださる方々の名前も覚えている。最近知ったので過去の本は電子書籍で揃えてるよ、と伝えてくださったり、僕の本を他の方にオススメしてくださったり、本当に感謝してもしきれない。
とてもとても恵まれていると思う。
僕はそんな支えてくださる読者様に恥ずかしくない作品を書き続けようといつしか思うようになっていた。
同人誌に対する最大の評価は「この前の本が面白かったから今回も買うよ」だと思っている。価値をくださる方々に恥じない、裏切らない作品を創ることが今の一番の使命だ。
僕は昨年から文学賞への応募を始めた。
具体的な評価が恐ろしかった。勝ち負けがはっきりする世界だ。
けれど不思議と、作品を書くことは苦ではなかった。
「この作品はあの人好きそうだな」
「この描写は読者様たち喜びそうだな」
作品を書いているとたくさんの人の顔が浮かぶ。
決して超売れっ子同人作家というわけでもない。頒布数なんて微々たる物。
それでも確かに僕の力になっている。
僕の一番の強みは「この作品を読んでくれる人なんていないかもしれない」という不安が一切ないことだ。
母親の愛情を受けた赤子のように、作家としての精神的安定、愛着を手に入れている。
かといって手を抜くことは一切しない。前述したが、裏切りたくない読者様がいるから妥協せずに物語を作ることができてる。
作家を目指す前に同人活動をしていてよかった。
次の恩返しは、受賞の報告をすることだ。
悲劇のヒロイン症候群
「悲劇のヒロイン症候群」
「私の方がつらい」と言い放つ人を哀れんでしまう。今日はそういう話。
友人がぼやいていた。
「うつが治ったという人に、それくらいじゃぜんぜんつらくないよ、と笑われた」
友人のぼやきは続く。
「確かに私の方が飲んでいる薬は少ないし、入院も必要ない。私はしんどいって言っちゃいけないのかな」
僕は声をかけた。
「100しんどくないと『しんどい』って言っちゃいけないの?」
その人が100しんどいと仮定したらもしかしたら友人のしんどさは80のしんどさかもしれない。けれどそこには80のしんどさは確かに存在していて、誰にも否定できるものではないはずだ。
「その人は、それくらいなら大したことないからすぐ治る、と励ましてくれてるみたいだった。でも、怒りが湧いてきたよ」
「私の方がつらい」と誰彼構わず言ってしまう現象のことを僕は「悲劇のヒロイン症候群」と呼んでいる。
鬱状態に陥ると人は被害妄想を抱きやすい。
自分が世界で一番つらくて、不幸で、可哀想。
そう思わずにはいられなくなる。
そうやって自分を守るのだ。
「あなたよりつらいんだから助けてよ」と。
この背景には「私よりつらい人は他にもたくさんいるんだから、つらいなんて言ってはいけない」と自分を責めてしまう心理の存在があるように思える。
「つらい」と言うためには自分が世界で一番つらくなければいけない。そんな強迫観念。
そんなことないのにね。と僕は笑う。
つらいときにつらいと言って何が悪い。
比べることができない物を無理に比べようとするなんて無益だ。
「こうすれば治るよ! とうつ抜けした人は言いがちだ」と友人は嘆いていた。
うつが抜けた喜びなのか、はたまた躁転してしまっているのか。
「私はうつが抜けてもああはならないよう気をつけるよ」
諦めた友人の笑みが悲しかった。
ずるくてごめんね
「ずるくてごめんね」
中学生のとき、僕には身体的に同性の恋人がいた。同じ部活の後輩。髪の長い女の子。
僕は特にそのことを隠していなかった。同性愛が隠すべき物であった時代は、少なくとも僕の周囲では、とっくに終わっていたからだ。
最初は「彼女がいるの?」と珍しがられもしたが、それは「彼氏がいるの?」となんら変わらない興味と温度を含んでいると感じていたし、素直に話せば拒まれることも笑われることもなかった。
そんなこともあってか、僕は中学三年生のとき女の子から少しだけモテた。特に後輩の女の子たちにはたくさんの恋心をもらった。冗談じみたスキンシップや羨望の眼差し、同じく女の子が好きだと相談されることもあった。彼女がいることをもちろん皆知っているので、告白されることはなかった。そのときまでは。
部活後の掃除中、それなりに関わりのあった後輩の女の子に呼び出された。
場所は女子トイレだった。
彼女は何も言わない。なにか躊躇っているかのように瞳が揺れていた。
「私、桜日先輩のこと、好きです」
これは愛の告白だ。僕はすぐに分かった。でも僕はとてもずるかった。
「そう、ありがとう」
満面の笑顔を作ってみせた。さも「恋愛関係になり得ない同性の先輩と後輩としてでしょう?」と言うように。
彼女は酷く傷付いた顔をして、それから「それだけ、です」とか細い声で答え、早足で立ち去った。
僕はその場でうずくまった。とても苦しかった。人の好意を踏みにじるどころか無視してしまったことに。
けれど、どうしたらよかったのだろう。懇切丁寧に彼女がいるからと説明したらよかったのかもしれない。どうしてそれができなかったのだろうと今でも自分を責める。
ずるくてごめんね。
彼女があの後、部室の裏で泣いていたことを知っている。
失恋を与えるのって、いつだって苦しいことだ。