桜色の海に恋は沈みて

物思いに耽ることは海に潜ることに似ている気がする

悲劇のヒロイン症候群

「悲劇のヒロイン症候群」

「私の方がつらい」と言い放つ人を哀れんでしまう。今日はそういう話。

 友人がぼやいていた。

「うつが治ったという人に、それくらいじゃぜんぜんつらくないよ、と笑われた」

 友人のぼやきは続く。

「確かに私の方が飲んでいる薬は少ないし、入院も必要ない。私はしんどいって言っちゃいけないのかな」

 僕は声をかけた。

「100しんどくないと『しんどい』って言っちゃいけないの?」

 その人が100しんどいと仮定したらもしかしたら友人のしんどさは80のしんどさかもしれない。けれどそこには80のしんどさは確かに存在していて、誰にも否定できるものではないはずだ。

「その人は、それくらいなら大したことないからすぐ治る、と励ましてくれてるみたいだった。でも、怒りが湧いてきたよ」

「私の方がつらい」と誰彼構わず言ってしまう現象のことを僕は「悲劇のヒロイン症候群」と呼んでいる。

 鬱状態に陥ると人は被害妄想を抱きやすい。

 自分が世界で一番つらくて、不幸で、可哀想。

 そう思わずにはいられなくなる。

 そうやって自分を守るのだ。

「あなたよりつらいんだから助けてよ」と。

 この背景には「私よりつらい人は他にもたくさんいるんだから、つらいなんて言ってはいけない」と自分を責めてしまう心理の存在があるように思える。

「つらい」と言うためには自分が世界で一番つらくなければいけない。そんな強迫観念。

 そんなことないのにね。と僕は笑う。

 つらいときにつらいと言って何が悪い。

 比べることができない物を無理に比べようとするなんて無益だ。

「こうすれば治るよ! とうつ抜けした人は言いがちだ」と友人は嘆いていた。

 うつが抜けた喜びなのか、はたまた躁転してしまっているのか。

「私はうつが抜けてもああはならないよう気をつけるよ」

 諦めた友人の笑みが悲しかった。