桜色の海に恋は沈みて

物思いに耽ることは海に潜ることに似ている気がする

残酷な「個性」

 発達障害のことを「個性」と表現することがある。「障害」という言葉にネガティブな印象を持っている人がよく言う気がする。けれど僕は違う感覚を持っていた。「個性」という残酷な言葉に苦しめられていた。

 発達障害の検査を終え自閉症スペクトラムであることが分かった僕に、主治医はこう話した。

「あなたの自閉症の程度は重くはないから、治療の対象としての障害ではなく、そなわった個性として捉えてほしい」

 僕には死刑宣告かのように思えた。いや、死刑であったほうが終わりが来る。無期懲役だ。生きるという罰を与えられた、と。

 発達障害の検査の過程で過去の忌々しい記憶と向き合うこととなった。いかに僕には劣っていることが多くあったか。そしてそれは自閉症によるものである。と突きつけられた。

 発達障害は個性。すなわち、治療法がない。僕の自閉症であるがゆえのあらゆる欠点は、医学をもってしても治すことができない。本人の努力なんてもってのほかだった。

 診断されたばかりで動揺していたこともあり、僕は僕自身を罵倒し続けた。治らない一生クズのままだ、と。

「個性」と言えばポジティブに聞こえるかもしれない。けれど苦しみや葛藤を無視したポジティブの押し付けになってしまっていないだろうか。

 僕が僕自身を受け入れられるようになるのはいつだろうか。