事実と思い込み
僕は運動が苦手だ。走るのは学校で一番遅く、投げられたボールをキャッチできず、泳ぐどころか水に顔をつけることすらできない。成績は三段階ならC。五段階評価の中学では出席点のみの2だった。
そんな僕に対して母はいつも「大人になればできるようになる」と言っていた。「私はできるようになったから」と。
大人になってから発達障害の検査を受けた。検査項目の中に「粗大運動」というものがあった。
結果として、僕は自閉症スペクトラムと診断され、その中に粗大運動の障害も認められた。
僕は納得していた。こんなにも運動ができないのは障害のせいだったのだと。免罪符とは思わなかったけれど、できないことを無理してできるようにする必要はないな、とスポーツに自ら挑戦することから離れて、スポーツ観戦をして楽しむことにした。
しかし母は「運動ができないと思いこんでいる」と認めなかった。
「できないと思うからできない」「やろうとしないからできない」と僕を責めて、最後にはいつも「私はできるようになったから」と言う。
僕は呆れてしまった。僕とあなたは違う人間だ。
確かに発達障害による粗大運動の障害が認められたことで諦めてしまったことはある。けれどこれはできないと「思い込む」きっかけだったのだろうか。
精神障害や発達障害は「思い込み」と言われることがある。きっと「病は気から」という言葉を取り違えているのだろう。
できないという事実を認めることと諦めることの差はどこにあるのだろう。
けれど一つ言えるとしたら、他人に「思い込み」だと言われることは、いささか憤る。