桜色の海に恋は沈みて

物思いに耽ることは海に潜ることに似ている気がする

違うと理解できない母

 2019年、ワールドカップラグビーが日本で行われた。メディアも街も大騒ぎ。ラグビーを扱ったドラマが放送されたり、ラグビー選手がバラエティー番組に出演したり、と大きな盛り上がりを見せた。

 そんな中、僕はラグビーが苦手だと言わせてもらえなかった。

 スポーツ自体は嫌いではない。運動をすることは得意ではないけれど見る分には楽しいし、流行り物だからと特別嫌悪しているわけでもない。

 でもなぜ苦手なのか。それは、音だ。

 僕には自閉症スペクトラムがあり、その特性のひとつとして「感覚過敏」というものがある。僕の場合、聴覚に強く表れており、些細な音が気になったり大きな音に驚きすぎたりする。また騒がしい場所での会話が困難であったり、うまく聞き取れない(聴覚に問題はない)ため電話をすることができない。

 スポーツ自体は嫌いではないが、応援の歓声がどうにも耳障りでならない。ラグビー以外ではサッカーの歓声も煩くてつい耳を覆ってしまう。野球は応援に音楽が使用されているためなのか何故か平気だ。音のありかたにもこだわりがあるようだ。

 煩いなら見なければいい。それはごもっともだ。しかしそれを許さなかったのは母だ。

 僕は実家暮らしのため食事は家族で揃って取る。夕食時、ダイニングから続くリビングのテレビではラグビーの試合中継が流れていた。

「音が苦手だからご飯食べる間テレビを消していい?」と母に尋ねた。母はもちろん僕に自閉症があることは知っている。しかし返事はこうだった。

「今見てるからいいじゃん。お父さんも見てるし。それにそんなうるさくないよ」

 母は自分と他人の境界がない人だ。

「お母さんにとってはうるさくなくても僕にはうるさいの」

 そう主張しても「そんなことないって」と返す。

 どうしてあなたは自分と他人が違うことを認めないのだろうか。

 自室で食べるから持って行っていいかと聞くと、そんなのダメに決まってるという謎のこだわりを押しつけられた。

 結局、僕はご飯を食べることなく自室に引きこもった。リビングからの音漏れに耳を覆い、ベッドの中でうずくまって空腹を忘れるために眠った。

 これを読んで僕の単なるわがままだと思うなら、あなたも僕とあなたの感覚が違うということを理解できていない人だ。何が個人にとって耐えがたい苦痛なのかは違うのだから。

 食事中にテレビが切れないのならラグビー中継が終わってから食事をすることも選べたかもしれないが、日本中が熱狂していたあのときはいつだって試合風景が繰り返し放送されていた。ワールドカップラグビーが終わったとき心から安堵したのを覚えている。

 2020年は東京オリンピックだ。またあの熱狂と騒音の日々がやってくるのだと思うと気が滅入る。せめて自衛させて欲しかった。水を差すようなことは言わないから、と。